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mimiZのライブ情報、音源などを発信していきます。

2011年02月23日(水)

osso [twitter]

プロダクトデザイナー高橋悠さんのtwitterより
http://twitter.com/slow_glass/status/28245884558901248

おめでとうございます!


http://www.kenoh.com/2011/01/20ids.htmlより
「osso」という座椅子だそうだ。

Posted by shimaf at 00時44分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年02月22日(火)

「9:53 AM Feb 20th TwitterBarから」 [twitter]

Twitterで前田真二郎さんが
「9:53 AM Feb 20th TwitterBarから」

水野勝仁さんという方の博士論文を紹介されていたのでざっと目を通す。



「GUI の確立にみる「ディスプレイ行為」の形成過程」というものだ。PDFで読める。最初工学的な内容なのかと思ったが、違った。興味のあるキーワードをいくつかいただいた。




メモ:ジェレミー・リフキン「タイムウォーズ」
 ”コンピュータの出現によってわれわれは「多様な時間」の時代に入る”

Posted by shimaf at 15時14分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2011年01月01日(土)

110101 [twitter]

画像(180x119)・拡大画像(800x533)

土居哲真さん
http://twitter.com/tetuma/status/20868571592658945

土居さんにあったことある人なら分かると思うのだけど、彼がこうした言葉を持つ時の雰囲気というのは僕はすごく好きなのです。こういう僕からの駄文が、土居さんの発言を台無しにしていまう危うさを孕んでいると思いながら書いてしまうのだけど。
本当に文字通りに言葉にした時の素直な気持が、すっと留まって残るのは土居さん個人の雰囲気を、僕が持ち得ている記憶の中の何かで補完しながら判断しているからだと思うのですが、
だからこそ人はたとえ同じ文字列であっても同じ言葉を発する事はできないはずなんだと思います。

たぶん決してできないのだと思いますし、すべて違うということこそが前提になるという、そうした差異の意識はいよいよ強まる方向に向かうのだろうと感じます。

こんな事を書きたくなったのは、奇跡的なバランスの上で立ち現れてくる言語というものがあるのだと思うからです。多分それは人類史上最も力を持ち得ていながらコントロールする事がひどく困難な何かであっただろう気もしているのですが。そういう得体の知れないものに対して直感的に準備をしている人はどのような分野でもいるような気がしています。僕は今のところそうした志を持っている人たちは信じれる気がします。

まだひどく抽象的な話ですが、今年から僕自身の中ではもっと明確にしていきたいテーマがそんなあたりにある気がしています。

Posted by shimaf at 01時51分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2010年12月20日(月)

101220 [twitter]

画像(180x119)・拡大画像(800x533)

プロダクト・デザイナーの高橋悠さん。
http://twitter.com/slow_glass/status/16478618217615360


Mimizの2004年にリンツで1週間行ったライブを編集してCDRにまとめたい。
音源の叩き台はできているのに包装方法等がまとまらない。



Beethoven: String Quartet #16 In F, Op. 135 - 3. Lento Assai, Cantante E Tranquillo

Posted by shimaf at 01時56分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2010年12月10日(金)

101210 [twitter]

画像(180x119)・拡大画像(800x533)

twitter、個人的に読めるものと読めないものがある気がしていたのだけど、その違いは何かをずっと考えていた。
今日は、ふとしたきっかけでなんだかそこにひとつはっきりとした柱が見えた日になった。
それは、その人の声を頭の中でシミュレーションできる場合とそうでない場合があるということで。大概知人のツイートを読むときは、はっきりとその個人を意識して記憶の中の「声」を割り当てて読んでいる。そういう場合は、楽しんで読めていると思う。

知人でなくとも中には声を感じる文体もあるにはあるがそれは多分まれな事だろう。
一方でtwitterに対して決定的に違和感を抱く時もある。それは知人であるにも関わらず、その人の持っている声を感じられなる場合がまれにあるという事実だ。(これはツイートの内容が明るい/暗いとかそういうレベルの話ではなくて、そこに個人を感じることができるかどうかという単純だが根源的な事柄だと思う。)記憶の中にあるその個人の声によっては、このツイートを読むことができないと感じる場合があり、少なくともtwitterにはそうした分裂的な状態を内包する構造的な特色があるのかもしれない。また、こうした違和感の逆で、未知の人物に対する極度の色づけのような状態もおそらく起こりえることだろう。


ただ、おそらくこうした一方的な発言の暴走を自己規制によって思いとどまらせるだけの機能もtwitterにはあるのだろうし、そうしたバランスを如何にとるのかという態度が優先されてもいるのだろうが。

Posted by shimaf at 02時02分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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